鎌倉武士と騎馬民族
鎌倉武士について考えていて、いくつか思ったことがあったのでメモ。
遊牧民でもないのに、弓騎馬で戦っていた
ヨーロッパでも中国でも、馬に乗りながら弓を打つ戦い方をするのは遊牧民だけです。
ところが、鎌倉武士は弓騎馬で戦うのが普通でした。強い武士が「弓取り」と呼ばれる伝統も生まれ、例えば戦国時代の今川義元は「海道一の弓取り」と呼ばれています。
また、遊牧民の弓は馬上で取り回しやすいように比較的小さなものが多いですが、鎌倉武士の弓はめちゃくちゃデカイですよね。弓を作る材料の問題があったのかも知れませんが、デカければそれだけ取り回しにくくなる代わりに、威力や飛距離が上がります。鎌倉武士はヒットアンドアウェイで戦っていたんだと思います。
日本刀の反り
そういえば、日本刀の反りも不思議です。
騎兵が使う刀は、馬に乗りながら振り下ろすのに都合がいいので、反った形をしています。
モンゴル人の刀も反っているし、近代のヨーロッパでも反った刀を使っていました。
ところが、鎌倉武士の刀もまた、ものすごく反ってるんです。
日本刀自体が伝統的に反り返った形をしていますが、鎌倉時代は特に反りが大きかったようです。
切れ味を上げるためだとか、強度を上げるためなどと言った要素もありますが、形だけ見ると日本刀は騎兵向きの刀に見えます。
騎馬民族征服王朝説
鎌倉武士とは直接関係ないかも知れませんが、日本を作ったのは騎馬民族だったのではないかという説があります。
騎馬民族征服王朝説(きばみんぞくせいふくおうちょうせつ)とは、東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓を基地[1]として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配ないしそれと合作して大和朝廷を立てたという説。騎馬民族日本征服論(きばみんぞくにほんせいふくろん)ともいう。東洋史学者の江上波夫が考古学的発掘の成果と『古事記』『日本書紀』などに見られる神話や伝承、さらに東アジア史の大勢、この3つを総合的に検証した結果、提唱した考古学上の仮説である。
手塚治虫の「火の鳥 黎明編」は江上さんによる騎馬民族征服王朝説を下敷きにして描かれた作品なので、読んだことがある人はイメージしやすいかも知れません。昭和の時代にかなり流行した説なのですが、現在では否定的な意見も多く、全部を全部鵜呑みにできる訳ではありません。ですが、騎馬民族征服王朝説は古代史のダイナミズムと民族移動のロマンを感じますし、個人的には結構信用しています。
騎馬民族征服王朝説については、この本が読みやすいと思いますので、興味のある方は是非。
考えれば考えるほど不思議なんですが、どうして鎌倉武士は騎馬民族でもないのに馬に乗って弓を使ったり反りのある刀を使うようになったのか。すごく気になります。騎馬民族遊牧民説は面白いですがいかんせん古代の話なので、鎌倉武士とはそれほど繋がらない感じがします。なにか良い本があれば読んでみたいです。
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