意識高い系が使う、「成長」とかいう言葉が気持ち悪い理由

公開日: : 最終更新日:2015/11/20 コラム, 社会学

世の中には、「圧倒的成長!」を謳う企業が後を立ちません。

「圧倒的成長」という圧倒的によくわからない言葉は、もちろんあちこちでネタにされています。ブラック企業の社畜キャラで売っているツイッタラーの(@tokyoxxxclub)さんのツイートを見るとよくわかります。

「成長」という言葉は、ブラック企業の社畜だけではなく、ベンチャー企業や意識高い系のクラスタでも好まれる言葉です。が、僕的にはどうも馴染めません。

一体全体どうしてなんでしょう。
ただネタにして終わるのもアレなので、「意識高い系」の気持ち悪さなんかとも合わせて色々と考察していきます。

曖昧すぎる、「成長」の定義

まずハッキリさせておきたいのは、僕は意識高い系やベンチャー企業の人が言う「成長」という言葉に対して、条件反射で気持ち悪さを感じているわけではない、という点です。

例えば、「成長している企業」みたいな言い回しで使われる際の「成長」には気持ち悪さを感じません。それはたぶん、企業の成長は、ある程度実感として目に見える概念だからです。売上が伸びるとか、オフィスが広くなるとか、色々あると思います。

ところが、成長したい学生集まれ!みたいな謳い文句は、とにかく気持ち悪い。

なぜなら、そこでは本来成長には必須であるはずの、「成長して◯◯になる」「成長して◯◯ができるようになる」みたいな、具体的な視点が欠けているからです。だから違和感がある。中でも特に、「圧倒的成長ができます」とか言われると、はて?と首をかしげたくなるんですよね。なにをもって圧倒的成長と言ってるんだろう?って。

よく、意識高い系をバカにするときに言われるセリフで、

「結果を伴わないのに、意識だけが高いから気持ち悪い」式のテンプレがあります。
僕としては、「意識高い学生」が結果を出していないのは、まだ学生なんだしある意味当然で、若いんだから頑張ってこれから結果出せばいいんじゃないかって思っているので、あの批判はあまり好きじゃないんですけど、企業が発する「成長」という言葉への嫌悪感は、ひょっとするとそうした感覚に近いのかもしれません。

普通に考えて、意識は低いより高いほうが良いです。だから通常、意識高い系をバカにするのはあんまり美しいことではありません。

「意識」は高いor低いの二択ではない

そもそも、「意識」は高いか低いかの二択ではありません。

例えば、ラーメン二郎はめちゃくちゃ意識低そうな食べ物ですが、どういう訳かジロリアンたちの意識はめちゃくちゃ高いです。ちょっと私語をしていたり、ほんの少し食べるのが遅かったらギルティですからね。

ギルティ云々に関しては半分ネタも入っているとは思うんですが、意識が低そうな食べ物に、めちゃくちゃ意識の高いジロリアンたちという構図が非常に面白いからこそ、これだけ有名になったんだと思います。

あるいは、筒井康隆とか中島らものことを考えてみると良いでしょう。
僕は筒井やらもが好きなんですが、彼らのことを意識が高いとか低いとかいう次元でくくることは非常に難しいと思うんですよ。これは、彼らの本を読んだことがある人ならおそらく共感してくれると思います。

なんなら、意識高い系のアイコン、ジョブズさんだってそうです。ザッカーバーグがFacebookを作った動機だって、めちゃくちゃ意識低いですよ。

彼らの若いころの話を聞くと、あんまり意識が高いようには思えません。

つまり、人間の意識は単純な高い低いでは割り切れるものではないんです。強いて言えば、意識が「ある」か「ない」かってことくらいは言えると思いますが、意識ってもっとこう、3次元的なマトリックス的な構造をしてるんじゃないかと思うんです。

僕が思う、「成長」するキッカケの例

僕はあんまり好きじゃないですが、現実問題、企業の人が「成長」を謳っているのもある程度理解できます。

実際、個人の「成長」って極めて曖昧な概念ですからね。

人間は昆虫と違って、大人になったからって姿形が変わるわけじゃありません。

ところが一方で、ほとんどの個人は間違いなく成長するんです。
これはもう、生きてるだけで成長します。逆説的ですが、そういうものなんです。

おそらく、個人の成長が目に見えないものだからこそ、企業の人が謳う圧倒的成長にも実態が見えてこないんです。

成長を具体的なところまで落とし込む

曖昧なままでは気持ちが悪いので、個人が成長するタイミング、きっかけみたいなものを考えてみることにします

きっと他にもありますが、僕がパッと思いつくのはこんな感じです。

ロールモデルが見つかった

直接会った人でも本で読んだ人でもいいんですが、なにかしらの「すごい人」に出逢えば、僕もいつか追いついてやろうと思うものです。まあ、思わない人もいるかも知れませんが、そういう人は意識が低いです。

目指すべき方向性が見えてきたら、それに向けて努力することもできるようになります。成長するきっかけとしては十分でしょうが、これだけでは意識が高くなったと言われるだけで終わるかもしれません。具体的な成長が伴うのは、まだ先の話です。

具体的なスキルを身につけた

これは結構わかりやすいですね。

英語ができるようになったとか、プログラミングができるようになったとか、人とコミュニケーションを取るのが上手になったとか。明らかに成長した感覚を得ることができるはずです。

実践から学んだ知識の積み重ね

例えば僕は、大学受験のとき、PCDAをひたすら回しながら独学でやったので、めちゃくちゃ力がつきました。

社会学を学んだり、こうしてブログを書くようになったのも、物事を外側から見る訓練になりました。

ただ、このタイプの成長は非常に見えにくいものでもあります。頭の使い方やら、勘が冴えてくるタイプの成長だからです。

ところがおそらく、このタイプの成長こそが、成長の本質です。

成長の正体は、文化資本の積み重ね

「圧倒的に伸びている企業で、圧倒的に成長しよう」「圧倒的成長のためには、圧倒的に伸びている企業で働くのが1番です」みたいなことを言って学生を採用している、急成長中の企業があります。

なんだか気持ちが悪いですが、これはたぶん、文化資本の話をしてるんだと思います。

文化資本とは、目に見えない教養とか育ちみたいな文化的な素養を、お金や土地などと同じような資本であるとする考え方のことです。文化資本についてはこの記事でも書いたので、興味があれば読んでみてください。

つまり彼らが言ってるのは、圧倒的に成長している企業の中には、圧倒的に成長する文化があるよ。イケイケな企業でイケイケな人たちとイケイケな空気を吸っていれば、キミもイケイケになれるよ、みたいな話です。

文化資本のことを言っているだけなので、はなっから具体的なことを言っているわけではありません。でも、いろいろ得ることはあるよ。みたいな。

んで、その得るものがあまりにも多伎に渡っている上に、同じ経験をしてても人によって何を得るかは違ってくるので、抽象的なことを言わざるを得なくなってくるという寸法です。

ここまで考えれば、企業が成長を謳うのも納得できるような気がしてきます。

僕みたいな人間は、安易に使われる抽象的な言葉は、これくらいまで分解しないと納得しないので、企業の人はそこらへんもう少し具体的に色々と語ってほしいですね。

てなわけで、僕はこの記事書いてだいぶ成長しました。
お後がよろしいようで。

参考記事
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