出席重視の授業をすると、学生に私語が増えるらしい
11月15日の日経新聞「春秋」に面白い話が乗ってました。
▼昔の大学には授業中の私語はほぼなかった。その理由を教育社会学者の竹内洋氏が随筆で考察している。進学者が少数のエリートだった。勤勉や忍耐が美徳だった。それだけではないはずだと考えた竹内氏は、大正時代の「東京帝国大学法学部教授授業怠業時間一覧」という資料を見つける。当時の学生が集めたデータだ。
▼対象は高名な教授ばかり9人。休講、遅刻、早引けをすべて記録し、授業をすべき時間から引いていく。結果をみると、実質的に授業をした時間は規定の40%から60%前後。最も少ない教授はわずか37%だった。「この怠業率の高さが私語なし授業のしかけだったのでは」。竹内氏はユーモアを込めつつまじめに主張する。
▼機会が少なく、しかも短いとなれば、聴く側も真剣になる。「休講はよくない」とされ始めてから私語も増えたと竹内氏は振り返る。近年は学生の要望から出欠を重視し「公平に」成績をつける流れも広がっている。出席率は向上した。私語にも拍車がかかる。教員も学生も、進んで窮屈な方に歩んでいるようにも見える。
出席重視はやめて欲しい
これ、たぶん本当にそうなんだろうと思います。
大正時代ってちょっと昔すぎる感じもしますが、そこまでさかのぼらなくても一昔前の大学は授業の出席率をあんまり重視してなかったんだろうなということは、中年くらいの人と喋ってみればすぐにわかることです。
出席率を重視する授業をやると、授業に興味のない学生が増えるのは自然な流れです。また、出席率で成績が決まると、ちゃんとした理解が伴わない学生に単位を認めることになりかねません。成績は出席率で付けるべきではないと思います。
まして、今の時代は昔とは違います。本が貴重な訳ではありません。たいていの情報はインターネットで検索できます。MOOCSのように、オンラインで全てのカリキュラムを進めることだって出来る時代です。
そんな時代に、教師が黒板の前に立って、学生にひたすら講義をするタイプの授業にどれほどの価値があるのでしょうか。学生だって授業には興味がないし、教師の方にも情熱がありません。一体、誰のために、何のために授業をやっているのでしょうか。僕にはわかりません。板書やレジェメはネットに挙げておけば良いと思います。授業をやるなら、授業でしか出来ないことをやるべきです。グループワークのプレゼントをやらせるとか、学生にちゃんと考えさせるような授業をするとか。
大学では、唯一解があるような知識の伝達に長い時間を割くべきではないと思います。はっきり言って、そんな授業には価値がない。大学へ向かうモチベーションにならない。出席率重視・知識伝達重視の授業は、学びたい学生ではなく、単位をとりたい学生のための授業です。だからこそ、授業がつまらないのだと思います。