できる人がバリバリ成長していくのは、文化資本とピケティで説明できる
公開日:
:
社会学
ブームはすっかり去りましたが、みなさんピケティさんのことは覚えておられますでしょうか。
僕はミルトン・フリードマン大好きっ子なので思想的にはあんまりそそられなかったんですが、ピケティ先生が仰っていたのは経済格差のお話でした。
中でも話題になっていた決め台詞がr(資本収益率)>g(経済成長率)
で、要するに、資本家が資本を増やすスピードは経済の成長スピードを上回るので、資本家と労働者の経済格差はどんどん広がるのだ!といったことを主張していたように記憶しております。
で、だ。
僕はこの方程式、なにも「お金」に限った話じゃないよな〜と常々感じていたし、その確信はどんどん高まっているのであります。
卑近な例で恐縮ですが、例えば、「特にイケメンでもないのに、なぜか女の子にモテる奴」のことを考えてみてください。
イケメンでもないのにモテる人は、おそらくコミュニケーションの能力が高いです。また、男女問わず、交友も広そうですね。
つまり、イケメンじゃないのにモテる人は、
①そもそも色々な人と出会っている&交流している
②当然、女性との出会い、交流も多い
③交流を重ねていくうちに、人が人を呼んでくるような形で、更に交友が広がる
④対人能力の経験値が上がる
⑤モテる
といったようなサイクルをガンガン回しているんじゃないでしょうか。
んで、この考え方は他のことにも応用が効きます。
僕はピケティ本を読んでいないので、もしかすると本の中でも触れられていた可能性がありますが、例えば「文化資本」なんてものについても言えるんじゃないでしょうか。
「資本」は土地やお金に限らない
社会学の世界には、文化資本という考え方があります。
「学歴」「教養」「語彙」「立ち居振る舞い」みたいな、目に見えない文化的素養を個人の資産だとみなした説のことです。フランスのブルデューという社会学者が言い出しました。
で、この文化資本。
・親の文化的素養が高ければ、子供にもそれが受け継がれていく。
・文化的素養が高い人は、どんどん新しいことを学んでいくので、どんどん賢くなっていく。
・逆に、文化的素養がない人は自分から新しいことを学ばない=文化資本を増やさない。
という特徴をもっており、通常の資本と同じような性質を持ってるんです。
先ほどの例で言えば、イケメンじゃないのにモテる人とまったくモテない人の違いは、モテ資本の差であると言えそうです。
モテる人はモテるサイクルに入ってるからどんどんモテますが、モテない人はいつまで経ってもモテません。
同じようなことは何にでも言えるのですが、僕がヤバイな〜と感じているのは、情報を自分で取りに行く人とそうでない人の格差です。
積極的に学ぶ人と、そうでない人の格差はとんでもなく広がった
インターネットが登場して以降、個々人が触れるor所有する情報量の差は格段に広がりました。
なぜなら、やる気がある人がネットサーフィンをして新しい情報を仕入れ、良さそうな本の情報を仕入れている間、やる気のない人はソシャゲとLINEしかやらなくなったからです。
この件に関して、永江一石さんが面白いことを書いていたので引用します。
ネットの普及により、個人ごとの知識や情報の保有量の差は縮まったと言う人がいるが、真逆だと思う。まずはここから。
ネットが普及したことにより、情報収集に能動的なタイプは一昔前ならテレビで評論家がくっちゃべるくらいの知識はすぐに自分のものにしてしまう反面、情報収集に興味が無い大多数のレイトマジョリティ以下のクラスタでは、新聞も家庭や職場から消えているし(アーリーマジョリティである上司や父親がネットに移行した)、受動的メディアの典型のテレビではステマやウソ情報、お笑い番組ばかり流すということで、以前よりどんどん格差が広がっていると思う。
昔のアーリーマジョリティ以上とレイト以下の情報所有量の比率が10:1だったとすると今は100:5くらいになっているのです。「レイト以下の情報量が昔より5倍になった、ネットって凄い」というのは短絡的で、差は逆に9 → 95に開いていると考えれば良い。
要するに、情報を取りに行く人のところがには常に新しいネタが入ってくる一方で、そうでない人のところには新鮮な情報が全くこなくなってくる訳ですね。
情報量が少ない人は、理解度も浅い
先ほどまでの話は「量」の話でしたが、「理解度」の格差も広がる一方だと思います。
例えば、円高と円安の違いがわからない人が為替相場のニュースを聞いたってろくすっぽ理解できないので、そもそもそうしたニュースは見ないよね。みたいな話です。理解度が浅い話は聞いても意味がわからないので、興味があって勉強したいみたいな動機がなければ、自分から触れに行こうとはしないんです。
それと同様の現象は、為替のニュースだけでなく様々な場所で起こっているので、情報・知識をもってる人とそうでない人の差はますます広がります。そうなってくると、簡単に理解できる2ちゃんのまとめサイトか、テレビのバラエティ番組みたいなジャンク情報ばかりに触れるようになるので、情報の「質」にも差が出てきてしまうことでしょう。
差は広がる一方。どうにかできないのか?
本当にどうしようもない人はそもそもこんな記事は読まないか、読んでも理解できないかも知れないのでアレなんですが、例えば企画系とかクリエイティブな仕事がしたい!みたいなこと言ってる学生・若者って、けっこう多いと思うんです。
ところが、そういう学生のほとんどにはクリエイティブな能力はありません。僕をふくめて、少なくとも金になるレベルの人はかなり少ないです。
なぜなら、経験値が圧倒的に足りてないのはもちろんのこと、知識が、もっと言えば情報を取りに行く習慣が身についていないから。
広告業界の巨匠ジェームズ・ヤングさんは、いま世の中に出てるほぼ全てのアイデア本の先祖になった名著、「アイデアのつくりかた」という本の中でをこんなことを言ってます。
– アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
– 既存の要素を新しい組み合わせに導く才能は、物事の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい
後者の才能は、社会科学系の研究を学ぶことなどで訓練で向上させることができる。
ちなみに、アイデアの実際の生産は5つの段階を経由して行われる。– データ集め
– データの咀嚼
– データの組み合わせ
– ユーレカ(発見した!)の瞬間
– アイデアのチェック
要するに、情報を積極的に取りに行く態度は極めて重要だということです。
逆に、色々調べたりする習慣が身につけば、雪だるま式に知識が増え、新しいアイデアもどんどん生まれてくるんだと思います。
そのためにはブログを書いてみるなどして、自分でも情報を発信していくのがいいかも知れません。
「情報は発信する人の元に集まる」と言いますし。