LGBTを誇りに思う、という話について
LGBTの祭典、TokyoSuperStarAwardsに行ってきた結果、色々思ったことがあったので書いておきます。
LGBTへの偏見
世の中には依然として、偏見があるのは事実なのだろうと思います。僕は当事者ではないので、実際のところLGBTの人たちがどんな風に辛い思いをしているのかはわかりません。
ですが、よく巷で聞く「LGBTであることを誇りに思えるようにならないといけない」みたいな意見には首をかしげたくなるんです。苦しい思いをしろ、とか、負い目を感じて生きていけ、みたいなことが言いたいのではありません。
LGBTになるのって、例えば親の育て方が悪かったからLGBTになるとかいうことはないわけで、基本的には生まれつきで決まるものじゃないですか。だとすれば、「生まれつき」で決まることを誇ることは、白人が白人であることを誇りに思ったり、ストレートの人がストレートであることを誇ったりすることと同じな訳ですよ。
負い目を感じる必要はないですが、アイデンティティの拠り所にする必要はないんじゃないですか、と言いたいんです。
逆差別みたいな問題もある
自分はLGBTだ。自分はストレートだ。
それは単なる趣向の問題であって、LGBTにもクソみたいな人はいるし、ストレートにもクソみたいな人がいる訳で、マイノリティだからって特別だと思わない方が良いような気がするんです。
ある人に「僕、ゲイです」と言われたら、僕は「あ、そうなんだ」としか思いません。僕がLGBTの人に出会ったとしても、その人自身が僕にとって面白い人でなければ特に仲良くなることはないはずです。
LGBTに限らず、自らのアイデンティティに悩んだ経験のある人は誰だって悩まなかった人よりは濃い人格に成長するはずです。そういう意味では、LGBTであることはある意味’有利’なのかも知れません。自分のアイデンティティを育てたバックグラウンドを誇りに思うっていう意味なら全然良いし、「誇りに思える世の中」になればいいね、と言っている人たちはそういう意味で言っているのかも知れません。
ですが、「LGBTに理解があります」という顔をしている人が「ゲイの人には面白い人が多い」みたいな話をしているのを見ると、いや、ゲイにだってツマラナイ人はたくさんいるんじゃないのって思っちゃうんです。ツマラナイ人は表に出てこないか、カミングアウトしてないだけなんじゃないでしょうか。
僕はどうしても、LGBTなんてわざわざ誇らなくても良いから、で、お前は何者なの?ってことに目を向けるべきだと思ってしまうんです。当事者はどんな風に考えてるんですかね。気になります。とりあえずこれ読んでみようかな。