「依存症ビジネス」は、元アル中のキリスト教系保守親父が書いた本でした

公開日: : 書評, 社会学

「依存症ビジネス」を読みました。

本書の内容をかんたんに要約すると、

・「依存性のあるモノ」はヘロインなどのドラッグだけではない。スタバのコーヒーやカップケーキ、iPhoneやSNSなど、「すぐに気分を良くしてくれるもの」=フィックスはなんであれ依存の対象になり得る。

・フィックスの入手が容易であれば容易であるほど、依存症になりやすい。

・依存症は単なる病気ではなく、「習慣」の問題である。そのため、例えばフィックスが手に入りやすい環境から手に入りにくい環境に移動した人は、中毒から抜け出す。
→ベトナム戦争でヘロインを覚えた米兵たちだが、大半は帰国後ヘロインを辞めた。

・現代社会はモノで溢れかえっており、企業は消費者に「自分を甘やかすための言い訳」を与えるための技術を急速に習得しつつある。

・うかうかしていると、僕たちは自分でも気付かないまま何かの「依存症」になり、「廃人」になってしまう。

みたいな話が書いてある本です。
具体的な事例の紹介がかなり多いので、読みやすく、分かりやすいです。「依存症」とはなんぞや?と言ったことを知りたい人は最初の1冊に読んでみれば得られることも多いのではないかと思います。

ただし、本を書いている人がどうもキリスト教系の保守親父らしいので、その点を頭に入れておいてから読むのが良いでしょう。

依存症ビジネスの著者は、元アル中のキリスト教系保守オヤジ

著者の略歴を見てみましょう。

デイミアン・トンプソン(Damian Thompson) 1962年、英国レディング生まれ。オックスフォード大学を卒業した後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で博士号取得(宗教社会学)。元『カソリック・ヘラルド』紙編集長。現在は『デイリー・テレグラフ』紙のレギュラーライター、およびテレグラフ・メディアグループの敏腕ブログエディター。 18歳から32歳までアルコール依存症に陥っていたが、以来、20年間にわたって禁酒している。

なるほど。彼は「宗教社会学」の博士号を持っている、「カソリック・ヘラルド」紙の元編集長であることがわかりました。

ちなみに、「カソリック・ヘラルド」はカトリック教会の情報誌です。カトリック教会の情報誌で編集長にまで上り詰めたくらいですから、著者が所謂カトリック的価値観に染まりまくっているのは疑いようがなく、そのため「依存症ビジネス」にはキリスト教系保守親父の思想・常識・価値観がにじみ出ているのです。

更に、自身が元アル中だったこともあるため、「依存症ビジネスに対する個人的な恨み」みたいなものを抱いている可能性があります。ニーチェが見たら「ルサンチマンめ!!」とキレられるかも知れません。

楽しみのために何かをするのは悪いコトなのか?

本書にあるそれぞれの話には説得力があり、僕もその点には同意します。
ただし、全体的に禁欲主義的・保守的な価値観が透けて見えるため、「いや、それは別にいいんじゃねーの」としか思えない記述も多々あり首をかしげてしまったのもまた事実でした。

例えば、外食については、

外食をするとき、私たちは、ただ単にエネルギーを補給しているわけではないし、同じ顔触れの家族の絆を補強しているわけでもない。私たちは食事の相手を、その人が持つ娯楽的価値に基づいて選んでいるのだ。

そして、メニューで〝誘惑に勝てない〟食べ物を見つけると——そう、そのとおりのことが起こる。レストランに足を踏みいれた瞬間から、ドーパミン受容体は高い警戒状態にある。

今や欧米の生活様式から徐々に追いだされている、家族でとる毎度の食事のときよりも、ずっと敏感になっているのだ。テーブルの上を漂う楽しさ、選択肢の多様さ、そして報酬は、脳の報酬回路を刺激する——それも、前頭葉のストップ機構を無効にするように仕組まれた食べ物に実際に出会う前から。

(中略)

高級レストランで食べようが、ファストフード店で食べようが、もはや、ほぼあらゆる外食の目的は、燃料よりフィックスを手にすることにあるという段階に私たちは到達している。

といったことが書いてあります。
確かに僕たちは、エネルギー補給のためだけに外食をしている訳ではありません。その点では確かに、外食もまたフィックスだと言えるでしょう。

でも、だからといって、僕には外食で「フィックスを手に入れる」のが悪いことだとはどうしても思えないんですよ。
どうもこの本は、楽しみのために何かをすること=フィックスを手に入れるための活動=依存症的である=悪い、あるいは好ましくないみたいな前提が根底にあるように感じられてなりません。

また、こんな事例も紹介されていました。

過去20年以上にわたり酒類販売許可法の大幅な緩和を含むさまざまな要因が組み合わさったおかげで、10代と20代の若者のあいだには、公衆の面前で酩酊する新たなパターンが生まれてきた。

こうした危機が進展するにつれ、メディアは〝ラデット〟現象に夢中になった。ラデットとは、夜じゅうウォッカなどのショットを何杯もあおったあとに、乱闘を繰りひろげたり泥酔したりして、男のようにふるまう若い女性のことだ。

しかしラデットは、すでに時代遅れの用語だ。1990年代に流行った言葉で、当時はまだ、そういった女性のふるまいが今よりショッキングな現象として受けとられていた。と言っても、ラデット型の行動が以前よりおとなしくなったというわけではない。

単に私たちがそんな行動に慣れただけ。そして、街の中心部でよろめいている学生の集団には、男子学生と同じように酩酊している女子学生も含まれているという事実が当たり前に思えるようになっただけだ。

確かに、公衆の面前で酔っ払うのはあんまりカッコいいことではありません。でも、別に女性が酔っ払ったって良いじゃないですか。男にだって酔っ払いはいるんだから、女にだって酔っ払いがいる。それで良いと思うし、その方が健全だと思います。

どうも、この書き方からは「女はおしとやかにするのが正しい」みたいな価値観が透けて見えます。僕からすると、これはちゃんちゃらおかしな考え方です。

僕は、いつ・どこで・だれが・なにをしていようと、それは全て本人の問題であって、良いも悪いもないと思います。本人が改めたいと思えば改めれば良いし、そのままで良いならそのままで良いんです。他人がどうこう言うことはありません。モラルを他人に押し付けるべきではないし、「昔は良かった」みたいなオヤジにはもううんざりです。

こんな人にオススメ

僕的には本書の説教臭いところが鼻につきましたが、この本は別に悪い本ではありません。

膨大な具体例を読みながら「依存症」の問題を考えたい人にとっては有益な本であるのはまちがいないからです。説教臭い部分には目をつぶるか、「そうだ!そうだ!」とうなずきながら読み進めることができる人は読んで損はありません。

日本人は基本的にこの手の話題に疎いので、勉強になると思います。

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